クロントイスラムについて
○スラムの現状
1.タイのスラム
1940年代からタイの首都バンコクには徐々にスラムが形成されるようになっていましたが、本格的なスラムが形成されるようになったのは1960年代に
入って工業化政策が本格化し軌道に乗り始めた頃でした。工業化政策によって都市部では安価な労働力を大量に必要としました。そして度重なる旱魃被害によっ
て疲弊していた農民たちと都市部の労働需要があいまって、地方から都市へと仕事を求めて人々が流れ込みました。
しかし、政府はこうした労働者たちの住宅問題に対策を講じず見てみぬふりをした為、地方からやってきた人々は地価の沸騰した都市に自らの土地を
持つことが出来ず、土地所有者との正式な契約がないままに働く場所に近い空き地に住むようになりました。教育レベルの低い農民たちは低賃金の単純労働に就
くことしか出来ませんでしたが、それでも農業をするより収入がずっと良かった為、都市部への人口流入は止まらず、次々と空き地に不法に住む人が増えスラム
が形成されていったのです。 |

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現在、タイ国内には2,000箇所以上のスラムがあると言われており、その多くがバンコクとその周辺に集まっています。タイ人口の10%が住むバンコクだけでも1,800箇所のスラムが存在し、バンコク人口の20%がスラムに住んでいます。特に急激な発展を遂げてきたタイの首都バンコクでは、繁栄と貧困の差が極めて激しく愕然としたものです。また、チェンマイやパタヤなどバンコク以外の主要都市では、現在もスラム地域が増加し続けています。
そうした中、政府の方針によりバンコクにあるスラムに住む多くの住民が立ち退きを迫られています。政府は郊外に低コスト公営住宅の大規模な建設を進めており、ここ数年間でスラムの解消を図ると公言しています。しかし、スラムに住む多くの人は都心部での日雇労働や行商、スラム内部の屋台やバイクタクシー等、いわゆるインフォーマル・セクター(非公式経済部門)で収入を得、生計を立てています。このような仕事をする為には都心に住む必要があり、交通費もかかる郊外の公営住宅に住めるはずもありません。また、公営住宅では家の前を使って屋台を経営することもできず、これまでスラム内で貧しい中助け合ってきたコミュニティそのものが解体されてしまいます。
スラム住民の活動は非公式でありながら、これまで都市の人々の生活を支えてきたものであり、バンコクの経済発展にも貢献してきたのです。農村部から流入してきた貧しい人々にとって、スラムは生存のために必要な場所であり、低コストで仕事を探すことを可能とし、安価な労働力を提供し都市の経済成長を支えるものです。
2. クロントイスラム
・クロントイスラムのこれまで
クロントイスラムは約80,000人が住む、バンコク最大のスラムです。バンコクの玄関港であったクロントイ港へ仕事を求めて多くの人々が集まり、スラムを形成していきました。最初は数十世帯であったのが徐々に増えていき、1991年には世帯数が6,000以上に及びました。
クロントイスラムのある場所は元々河口洲の湿地帯で、塩分を多く含んだ土地は農作物を育てることも出来ず、人は殆ど住んでいませんでした。そこに地方からやってきた人々は廃材を使って家を建てました。下水道設備も整備された道路もなく、家々から出た汚水の上に渡した板の上を子どもたちが走り回っていたのです。そして雨期になって降水量が増えると床下の汚水は家の中まで浸水するといった状況で、衛生状態はひどいものでした。また次第に増えて行った家々は密接して建てられ、子どもたちが遊べるような広場も無ければ学校もありませんでした。さらには私有地や政府機関の土地に不法占領しているため、何度も立ち退きを要求され、一つ所に落ち着くことは決して出来ませんでした。そして、そういった生活環境面だけではなく、スラムの人々は一般の人々が受けられる公共サービスを全く受けられない状態にもありました。例えば、出生証明書が無いために十分に教育をうけられず、適当な職業に就くことも不可能でした。
これら様々な問題は複雑に絡み合い、悪循環の繰り返しによりますます深刻なものとなって行きました。そして住民達は日々単純労働に従事する以外には他の世界のことを知る由もなく、世間の人々もクロントイスラムに関心を寄せませんでした。
こうした中、1968年ウンソンタム家のプラコーン(現在は改名しミンポン)、プラティープ姉妹がスラムの子ども達の教育のために「1日1バーツ学校」と呼ばれる私塾を開きました。これがスラムにおける社会開発の発端となったのです。姉妹は子ども達を自宅に集め読み書きを教えるだけではなく、住民達に結束して問題と闘っていくことを呼びかけました。やがてスラムの問題と姉妹の活動はマスコミや大学の研究などを通して世間に広く知れ渡るようになり、スラムの外に住む人々もスラムに対する関心を持つようになっていきました。住民達も次第に結束力を強め、住民委員会を組織するようになり、人間として最低限度必要な居住地区の確保に取り組みました。そうして、住宅公団との交渉を何度も続ける中で人々は様々な事を学び、自発的な発言や交渉で非常に良い経験をつむことになりました。
・現在のクロントイスラム
住民達が結束し、政府にも直接意見を言えるようになったことで、様々な改善がされてきました。家々の間の路地はコンクリートで埋められ、水道や電気など
のライフラインも整備されました。また、ウンソンタム姉妹が始めた「1日1バーツ学校」はバンコク都に移管され、スラムの中の立派な小中学校となりまし
た。また、ドゥアン・プラティープ財団をはじめ、国内外のNGOの働きにより地域の発展、教育レベルの向上、麻薬・HIV/AIDS感染の予防など様々な
取り組みが盛んに行われています。
しかし、現在でもスラムが抱える問題は山積みです。生活環境面では電気や上水道などの公共設備が整ってきたものの(およそ電気70%
・上水道90%)、湿地の上に家を建てている地域では下水設備は整っておらず、下水をそのまま床下に流すなどしています。そうした家はクロントイスラムの
中におよそ40%あります。また立ち退き問題も解消されていません。一時は港湾局と住民側との中期的な土地共有がなされましたが、その期限も切れ、現在は
いつ立ち退きを強要させるか分からない状態です。これでは住民は決して安心して暮らすことは出来ません。
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さらに教育面でも課題は山積みです。小学校への就学率が98%となったものの、家庭問題や本人の学習意欲が無い為に途中で退学する場合も多くあります。現在はおよそ20%の子供が小学校を中途退学しています。また青少年における性行為の乱れや喫煙・飲酒なども問題となっています。この他にも社会経済の影響を最も直接的に受けてしまったり、全体のおよそ20%の住民登録が未だ無かったりといった問題があります。
このような山積みする問題を減少させ、解決していくためには、住民達が自ら行動しなければなりません。クロントイスラムの住民達は、これまで協力し合って築いてきた共同体を大切にして、地域改善、生活所向上を正しく進めていく必要があります。
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