プラティープ先生のプロフィール
名前:
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プラティープ・ウンソンタム・秦
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職名:
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社会福祉活動家
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役職:
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ドゥアン・プラティープ財団事務局長(1978年~)
元上院議員(2000~2006年)
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生年月日:
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1952年8月9日
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学歴:
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1961年、パンヤウット小学校4年を卒業
1968年、成人学校高等学部卒業
1975年、スワンドゥシット教員養成短期大学卒業
1982年、バーンソムデットチャオプラヤ教育大学卒業
2005年、スコータイタマティラート大学院
政治学部修士課程卒業
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結婚:
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日本人社会福祉活動家、秦辰也氏と結婚。
男子2児をもうける。
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これまでの業績
プラティープ・ウンソンタム・秦は、1952年にクロントイスラムに生まれ、6歳の頃から路上で物売りとして働き始めました。彼女は『教育こそが生活を大
きく変える原動力になる』と確信し、1968年、姉のミンポン(旧名:プラコーン)と共に両親たちが働きに出ている間に子どもたちを預かって教えることを
はじめました。親たちからは文房具代として一日に今の10円にあたる一バーツを出してもらったので、住民たちは「一日一バーツ学校」と呼びました。
こうした活動が世に認められて、1978年、フィリピンにてラモン・マグサイサイ賞(社会福祉部門)を受賞しました。この時の
報奨金20,000米ドル(当時のレートで402,500バーツ)を投じて1978年8月31日、ドゥアン・プラティープ財団を設立しました。理事長には
当時のクリアンサック・チャマナン首相を迎え、スラムの子どもたちに教育を目的に活動をスタートしました。
引き続き1980年には、傑出した若者に送られる「ロックフェラー賞」を受賞し、その報奨金10,000米ドル(当時のレート
で200,000バーツ)を投じて「スラムチャイルドケア-財団」を設立しました。このセンターでは、共働きの両親や家庭内に問題がある子どもたち(0歳
から3歳まで)を預かっています。
またプラティープ先生は、将来どんな問題が起きてもスラムの人々が自分達の力で取り組んでいけるように、住民委員会を設置するよ
う住民に呼びかけました。そうして作られた住民委員会は1983年、住宅公団と直接交渉し、土地の共有協定を結ぶに至りました。さらにプラティープ先生は
1990年、チャチャイ・チュンハワン首相在職中に、都市社会問題についてアドバイザーとして任命され、地域立ち退き問題の短期的、長期的解決法を見出
し、人々が自分たちの必要に応じて新しい土地に住めるように取り組みました。
そして、2000年にはタイ国初となった上院議員選挙に、バンコク区で立候補し当選しました。任期が終わる2006年までの6年間、国会を通して教育や福祉などの貧困問題、また麻薬問題などに取り組みました。
このようにプラティープ先生は、スラム住民が生活向上のために互いに協力し発展していけるように、いつでも問題と向かい合い、多くの活動を行ってきました。
主な経歴
1974年
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日本のNHK放送よりアジア地区の傑出した若者に贈られる青年賞を受賞
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1978年
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フィリピンのマグサイサイ財団よりラモン・マグサイサイ賞を受賞
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1980年
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アメリカのロックフェラー基金より世界の傑出した若者に贈られる青年賞を受賞
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1998年
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ウェティ・プーイン(女性フォーラム)番組より、公益のために闘った人物としてサトリ・ペトエンガム(輝く女性)賞を受賞
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2004年
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スエーデンのNGOチルドレンズ・ワールドより、世界の子供による投票で選ばれる「グローバル・フレンズ賞」及び「世界子ども賞」を受賞
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2007年
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ユネスコより、傑出した仏教徒女性に贈られる賞を受賞
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現在の主な役職
ドゥアン・プラティープ財団:創設者
スラムチャイルドケア・センター:創設者
スラム地域開発委員会:理事長
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