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これまでの業績
昔のクロントイは、約2,000ライに及ぶ面積で、人々は農業を営んでいました。ところが、国はこの土地を港湾局に譲渡し、港湾局にその管理を委ねました。広大な土地は完全に活かされず、放置された状態でした。同時に、地方の貧しい人々がクロントイ港の荷役夫として流入してくるようになりました。仕事場に近いところに人々はそれぞれかろうじて住めるだけの家を建てはじめました。こうして、人々が徐々に移り住んできて、タイ国最大のスラムと呼ばれるようになりました。そこで、1968年、プラティープ先生は、両親たちが働きに出ている間に子どもたちを預かって教えることをはじめました。親たちからは文房具代として一日に今の10円にあたる一バーツを出してもらったので、住民たちは「一日一バーツ学校」と呼びました。こうした活動が世に認められて、1978年、フィリピンにてラモン・マグサイサイ賞(社会福祉部門)を受賞しました。この時の報奨金20,000米ドル(当時のレートで402,500バーツ)を投じて1978年8月31日、ドゥアン・プラティープ財団を設立しました。理事長には当時のクリアンサック・チャマナン首相を迎え、スラムの子どもたちに教育を目的に活動をスタートしました。 引き続き1981年には、傑出した若者に送られる「ロックフェラー賞」を受賞し、その報奨金10,000米ドル(当時のレートで200,000バーツ)を投じて「スラムチャイルドケア−財団」を設立しました。このセンターでは、共働きの両親や家庭内に問題がある子どもたち(0歳から3歳まで)を預かっています。現在、プラティープ先生はこの財団の理事として活躍しています。 また1990年、プラティープ先生は、チャチャイ・チュンハワン首相在職中に、都市社会問題についてアドバイザーとして任命され、地域立ち退き問題の短期的、長期的解決法を見出し、人々が自分たちの必要に応じて新しい土地に住めるようになりました。 さらに、スラム住民が生活向上のために互いに協力していけるように多くの活動に取り組んできました。 主な経歴
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